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謎の「大島元町復興計画」 [週末大島暮し]

motomatitaika3_1_1.jpg 前述の通り元町の「図書館」が吉阪らの設計ならば、それは元町のT字路際ゆえ必ず眼にしてきた。だが残念ながら中に入ったことはなく、そのうちに朽ちて行った。また彼らの設計だという学校の多くが今や廃校になっているのでは~。

 もう少し吉阪チームの手掛かりはないだろうか。ネットには国会の災害対策特別委員会の速記「東京都大島町元町復興計画案」の文言があるも、これは建設省地方局による?区画整理中心の案らしい。次に分厚い『大島町史』をひもとくも〝吉阪隆正〟の名は出て来なかった。

 大島町サイトの「町小史」を見る。昭和41年1月(元町大火翌年)、早稲田大学吉阪教室による「新しい町づくり」展示会。5月大島支庁・新庁舎完成、7月野増出張所完成の記述。それらが吉阪チームの設計との明記なし。大島庁舎とは現「大島町開発総合センター」のことならば昭和59年竣工で、大島支庁のことだろうか。支庁長宅(官舎)へ伺ったことがあるが、昔のことで記憶定かではないが、妙にモダンだったような気もするが~。

 吉阪隆正「大島元町復興計画」はかくも謎に満ち、次第に謎解きへ惹き込まれて行く。さらにネット検索するとサイト「木村五郎資料館の日記」に次の記述あり。引用させていただく。「昭和40年の大島元町大火の際にいち早く焼失した街を再生するための復興計画を町に示した建築家が早稲田大学の吉阪隆正氏だった。どういう訳だが私の書棚にこの復興計画書が3冊ある」、「吉阪先生が設計した建物が残る旧波浮小学校で毎年夏に〝アートアイランドTOKYO国際現代美術展〟が開かれている」。

 続いて伊豆大島ナビ「伊豆大島漁業協同組合・加工部」の方へのインタビューに「旧波浮小学校は建築家吉阪隆正氏が関わった大島復興プロジェクトの時代に生まれた小学校。全体的に船舶をイメージした設計デザインが施されており、ユニークな構造」とあった。

 元町ではなく島南部の設計が多いのは何故なのだろう。その全貌がますますつかめなくなってきた。これで探求を終われるわけもない。今度はな・なんということでしょうか、「You Tube」に32名の建築家・都市計画家・歴史家による「吉阪隆正」についての膨大なインタビュー集がアップされているじゃないか。

 そのテーマをアトランダムに列挙すれば~教育者/吉阪から学ぶこと/多言語/呉羽中学校/自邸(例の大久保百人町の)/逸話/U研究所/コルビュジエ/住居論/ヴィラ・クゥクゥ/八王子大学セミナーハウス/言われたこと/油土/高田馬場の都市計画/いなかった/箱根国際観光センターコンペ~等々。

 その中の1テーマに「大島計画」と題された2編がアップされていた。語っているのはきっと建築界で名を成す方々なのだろう重村力、樋口裕康、富田玲子、地井昭夫、濱田甚三郎、古谷誠章、田中茂夫、石山修武、後藤春彦氏他。すでに故人の方もいそうです。

 夏目漱石に〝漱石山脈〟があったが、早大建築系に〝吉阪山脈〟のようなものがあって、門下生総出演のインタビュー集っぽい。興味ある方は直接アクセスして観て下さい。ここでは「大島計画」で語られていた要点を発言者省略でメモしてみる。(大久保と大島を結んだ建築家3.4へ続く)

 ★挿絵は昭和40年の元町大火の跡。元町の約7割が焼失。罹災408世帯1273人。「伊豆大島懐かしの写真集」を見て描いてみた。煙突は当時あった銭湯のものらしい。


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